人類はドミニオンという言語を作った(事前に準備していた記事)

ドミニオン動画を見ると、動画制作者の意図とドミニオンへの愛がすごく良く分かる。

私は思っていることを伝えることが苦手なのだけども

私も伝えたいこと伝えたいなって思う。






思うことを思ってて自分がやっていたことを表現することが後からの重労働になるタイプ(人によっては言葉が先に思える)

表現が分からなくて苦しむ。

経験と想像で1位になりそうな最善手を歩んでいくだけなんだけど表現大変。

ドミニオンの一戦一戦での成功体験の多種多様性には自信があります。

他人と方針が同じだと運量勝負になるけど、他人と方針が違うことになるやつが良い。
不幸な4金連打でも間に合うとさらによい。労働村+鍛冶屋+玉座+泥棒とか完璧



全ては私の中での認識の話であって、個人の認識はすべての人にとって自由であると思っています。









数というものは美しい。

矛盾の起こらない世界であり、計算ミスという行為は数の世界を破壊する自然破壊行為。



数の美しさを表現する言語として、人類はドミニオンというゲームを作った。

ゲームという表現の中で数字が動くエンターテイメントを鑑賞する。

数の踊りであり、これがホントのカズダンス



人はドミニオンを体験して、思うことを思い、表現したいと思うと思う。

「圧縮」「最善手」「手数」「シャッフルタイミング」などなど。

そして銅貨はなぜ0金なのか、なぜ手札は5枚で初期デッキは10枚なのか、なぜ属州は12枚なのか。



ドミニオンを何回か経験すると、人は分析を開始する。

たとえば、手先というカードはヒントを教えてくれるだろう。

「1アクション」「1ドロー」「1金」「1buy」
この4つの価値は状況で変化する。変化するということは、ある意味で「等価」であり

例えば巾着切りというカードは「1アクション」を「相対的+1金」に変換する仮想銀貨

財宝カードは鍛冶屋で引いてもプレイできるカードなので
アクション0の状態でも使える+1アクション付きカードとも言える。

銀貨というカードは銅貨+銅貨+研究所。

呪いが手札に5回くるというのは1ターンの損失相当。

強いカードを何回プレイできるか。

どれだけデッキに銀貨をいれてもドローがなければ最大10金だし
どれだけドローしてもデッキにお金がなければ最大7金。

バランス良く拡大再生産しようね。

宮廷宮廷船着き場から銅細工師をうてば運ゲーですがすぐ100金を超えます。





ドミニオンを経験し、全てのカードの「潜在的役割」を認識していく。

その他認識してきたことの全てを使って、目の前のゲームの様々な棋譜の存在を想像する。



仮面というカードを財宝カードで10割で閉じ込めるへそくりというのは、ゲーム中の棋譜想像の中で発見された。




奇数ターンと偶数ターンで同じ行動をして、ボトムスキップしないカードはへそくりだけ。
初期デッキ10枚が毎ターンボトムスキップをして、屋敷を金貨に拡張したり、銅貨を植民地に拡張して購入無し。

ドミニオンのシステムはなんて美しいのだ。

購入したものを書き出すと、なんて分かりやすいのだろう




勝率的最善手の棋譜想像の中で発見されるへそくり仮面。勝率的最善手の棋譜想像とは関係ないブログのひととは一緒にされたくない(というのがあった)(表現思い出した)



ゲームの展開を見た時に、そこに存在しているのは勝率。

自分が3ターン目に鍛冶屋を打っている世界線もあれば、5ターン目に礼拝堂を打っている世界線も私には見えます。
そして3ターン目に鍛冶屋を打っていた世界線の続きにも、
4ターン目に鍛冶屋を打っている世界線もあれば4ターン目に鍛冶屋を打っていない世界線もあります。



対戦相手によって、私の潜在的勝率は変化します。

相手の強さと性格をどう認識するのか、上手なコンボ選択か、上手でないコンボ選択か、上手なステロ選択か。


またサプライによって、私の勝率は変化します。

他人よりも経験豊富な私が勝率高いサプライは、実はコンボが間に合うのよという判断が難しいサプライ。

つまり例えば、市場の下位互換として木こりを利用し頑張るようなサプライ。



また例えば序盤の展開からは後半の展開が全く想像できないような展開にできるサプライ。

(序盤はアタック等に耐えながらひそかに準備をして、後半に地獄から這い上がるようなサプライ)



オアシス金貸し策士バザー保管庫のような、地味なオアシス等を使いつつ事故らないデッキを構築できるサプライを前にして、経験値の差がある方(初手銀貨しか買えないレベル)とゲームをする時は勝率10割なのだろうと思う。





他人の勝ちパターンを目撃して記憶学習し、同じ勝ちパターンのサプライに出会った時に実戦する体験もあるだろうし、

勝ちパターンを初見で作りだすことに誇りと快感を味わう体験もあるだろうし。



勝ち負けに対しての感情の発生は、理想的認識レベルに達成していることを認められたい欲求なのだろうか。
そしてもっと理想を求めると、全ての人が頭がよくて、数字の踊りの観照、一期一会、美。いろんな意味で、ただ理想を追い求めているだけなんだ。



プレイのレベルとして、勝率下位互換のプレイをしたくないことが第一。

勝率80%のプレイでの負けと勝率60%での勝ち、私は勝率80%というプレイ内容にしか価値を感じない。


私よりも相対的なことを考慮できてない人が私に対して相対的なことを考慮できてないとか言ってきちゃう現象に名前を付けたい


プラスアクションの有無、buyの有無、アタックの有無、特殊勝利点の有無

圧縮の有無、ドローの有無、仮想コインの有無、などから終了ターン数を複数想定。


1位になるために打つべきアクションは何か。

1位になるために打つべきアクションが魔女ではないサプライ。


拷問人場でゴミあさりへそくりから呪い貰いつつ属州買うだけと気付けるアイデア力はどこから来るのか。
民兵場でゴミあさりへそくりからの公領公爵と気付けるアイデア力はどこから来るのか。

(答え:へそくりに対する愛。へそくりは決して私を裏切らない存在、神)






日本人は宗教大好きな人ばかりで、宗教嫌っていてはともだちもできないし、生きていけないけど


かわいそうな宗教が滅べばいいなぁと信じてる。




カタンは終了条件達成者が一位だけどもドミニオンは違う。そして現実には順位がつくわけですべての人が一位を目指すという表現は粗い。それを考慮したゆとり認識があるかないかの差




4人戦において、方針Aと方針Bがあるとする。

1番手方針A、2番手方針Bとしたときに、他の2人の方針選択によって、1位が変わるなんてサプライは無限にある。

もちろん修正できる展開もあるし、貫くしかない展開もあるよね。






ゲームを通して人はアピールをする。ポジティブなアピールもあればネガティブなアピールもある。

過去の不幸をアピールするのだ。かわいそうだと思うことは多々ある。

愛をこめて表現しているのだけども、かわいそうとしか思えないのかわいそうというループ

誰も望んでいないレベルの低い世界

私は、理想を求めて、理想を認識することしかできない。


なぜ人は生きるのか。理想が存在するからだ。






サプライによるが、ドミニオンの運要素は時には即刻逆転不可能。

初手馬商人銀から5金を連打で研究所を連続購入できる人もいれば、4金連打で銀貨しか買えない人もいる。無理。





私は人間とゲームがしたい。美しい棋譜を作りたい。

玉座念視改築手先とか(時間がかかる)で頑張っていたらそれだけで文句を言う人がいう。理解できない。

ドミニオンというゲームをわざわざやるという前提があって、なんで使ったらいけないの?

人間とゲームしたくないのであれば、ドミニオンではなくてパチンコでもしててほしい。