文系にも確率が見えるメガネが必要

文系にも確率が見えるメガネが必要。


人間対コンピュータの電王戦。Puella αの開発者ブログの勝敗に対するスタンスの違いのところ

「個々の対局の勝敗は実はどうでもよい。1回サイコロを振って、それが1かどうかなんて興味ない」
http://aleag.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/20134-fd94.html

を受けての記事。


将棋については、どうぶつ将棋の後手必勝の論文を軽く読んだりした程度で
よく知らない世界であるのだが。


まずドミニオン。いろんな視点があって。

相手の一手一手で相手の方針を考えて、経験などによって構成された想像力で、一位のデッキはなにか。を選んでプレイしたりする。
#相手がbotであれば、勝率評価値(今決めた呼び方)と実際の勝率は同じであろうけれど、。

また、鍛冶屋ステロとお金プレイ、同じ運の量であれば完全上位互換であり負けることはないが
鍛冶屋ステロはお金プレイに対して勝率100%では絶対にない。


ドミニオン四人戦一番手に対して、確率が見えるメガネをかけた場合に見える評価値

席順にて30%。サプライ決定で変動。開幕の金量で変動。購入物で「変動」
他人の開幕金量で変動、購入物で「変動」

以下、初手が底だったりすると、その人の勝利確率が減るし
また他人の購入物も「A購入で30%、B購入で20%」だったのが
「A購入で20%、B購入で30%」に変わったりするかもしれない。


なにが言いたいかというと、勝率にかける思考そのものにしか価値がなくて
勝率8割(文系を舐めてる)なのが重要で一戦一戦はどうでもいい。


そして人狼もそう。

いろんな人が、もやもやを抱えつつスルーしてるものなのだと思うけど。

勝率4割じゃなくて6割がある種のテーマ

人狼もどっちを吊るかってこっち吊った方が勝率高いという判断で吊ってて、ぼくの中ではそこが全て。勝ち負けは文系を喜ばせるために言及させる要素


狼である確率が50パーセントなら吊って良い感じ。でも100円玉を4回振って2回表が必ず出るわけではないように、50パーセント狼を4回吊っても全員村人である場合もあるという話(今思いついたので数字は適当。)